写真を撮りながら・・・レンズで見る形と色彩

フランス、イタリアの旅
パリ、プロバンス、フィレンツェ、ローマ

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フランスとイタリアへ旅行した。南仏・プロバンス地方は初夏の日差しに輝いていたし、ローマ帝国の遺跡の多いことにも驚いた。イタリアのフィレンツェはトスカーナ地方を代表する都市だけに、その独特の雰囲気を楽しんだが、ローマとは異質の裕福さがある。


 

パリ

凱旋門の上から望むエッフェル塔

午前中に凱旋門から南に見えるエッフェル塔は少々逆光気味だから、写真にしても鮮やかな色は期待できない。まっすぐ伸びるパリの街路はプラタナスやマロニエの並木に覆われ、森の道のようだ。

セーヌ川を下るバトーパリジャンの遊覧船

セーヌ川の水の色は何故か濃い暗緑色だ。その中を行く白い船体に赤い座席のバトー・パリジャンの遊覧船は、川面の緑に白、赤と派手で、いかにもパリのバケーションに乗る船といった印象だった。

 

モンマルトルの丘にあるサクレ・クール寺院

モンマルトルの丘の上にそびえるサクレ・クール寺院は、1914年に完成した白い瀟洒な建造物だ。19世紀半ばのパリ市街大改造で、行き場所をなくした芸術家が多く集まったというモンマルトルの丘の上に、この白く新しい寺院ができた。その後キャバレーが軒を連ねる歓楽街になったモンマルトルの、罪を洗い流す聖なる場所でもあるように見えた。

騎馬警官が巡視するルーブル美術館

40数年ぶりに行ったルーブル美術館の変わりように驚いた。中庭に地下が出来、その上にガラスのピラミッドが出来ていた。展示室も写真を撮り放題で、フラッシュの嵐だった。さすがにレオナルド・ダビンチの「モナ・リザ」はガラスで覆われ保護されていたが、多くの有名な絵画や彫刻はむき出しの展示で、日本の美術館員が見たらキモをつぶすだろう。

プロバンス

サン・レミ・ド・プロバンスの古い町並み

プロバンスのサン・レミは中世からある古い町だ。家を借りて1週間滞在したが、典型的な南フランスの田舎町だった。サン・レミにいろいろコメントをつければ、16世紀の大預言者・ノストラダムスの生まれた町、晩年の画家・ゴッホが滞在した町、モナコ王妃が滞在した町だ。そんなコメントなしでも長期滞在したい、典型的な南仏の田舎町だった。

ローマ帝国のグラナム遺跡、神殿の石柱

フランスのプロバンス地方にもこんなにローマ帝国の遺跡があることを知らなかったが、サン・レミ郊外のグラナム遺跡もその一つだ。紀元前2世紀から前1世紀にかけて建設された古代ローマ遺跡だ。神殿、凱旋門、記念塔、サウナ風呂、深井戸などを見ることが出来るが、排水溝もちゃんと備えた立派な構造に感銘を受けた。

ポン・デュ・ガール、水道橋遺跡

サン・レミから北東に30km程隔たった、紀元1世紀ころ建造されたこのガードン川にかかる水道橋遺跡は、長さ275m、高さ49mだという。勾配3000分の1で造られた全長50kmに及ぶ給水路の一部だった。2000年も前にこんなに精密な石造技術があったとは、本当に驚きだ。

一面に広がるヒマワリ畑

サン・レミからアルルに向かう道すがら、突然このヒマワリ畑に出くわした。こんなにも広大なヒマワリの耕作は初めて見たが、太陽のさんさんと降り注ぐプロバンスにピッタリの花だ。この他にも、これに負けない広大なラベンダー畑もあり、田舎道のドライブは楽しかった。

ボニューの教会

サン・レミから40km程も東に行ったボニューの町は、リュベロン山の麓にある古い町だ。メネルブなどと同様、丘の上に造られた中世からの山城といった景観の町だ。メネルブやボニューは、15年ほど前に「南仏プロバンスの12か月」や「南仏プロヴァンスの木陰から」を書いたイギリス人作家、ピーター・メイルが住んでいた地域と云えば知っている人もいるだろう。この本は日本でもかなり読者がいたようだから。

アビニョンの橋

日本でも知られるフランス民謡に出てくる「アビニョンの橋」は、兵隊さんも、坊さんも、花屋さんも、八百屋さんも、大人も、子供も通った橋だ。アビニョンの町を流れるローヌ川は時に「暴れ川」だったらしく、12世紀後半に造られたこのサン・ベネセ橋は、壊れては修理されたが、終にこんな姿のまま放棄された。でも、夕日が当たり川面に影を落とすこの橋はすばらしく美しい。

 

フィレンツェ

フィレンツェ、ベッキオ宮殿の塔を望む

フィレンツェの街のベッキオ宮殿は、メジチ家統治の頃から政庁として重要な建物だったが、大聖堂・ドウモと並んで街の方々からよく見える。大時計は後で取り付けた物だろうが、この宮殿は現在もフィレンツェ市庁舎として使われているという。

ピアッツァ・レプブリカ、共和国広場の夕景

共和国広場は、歩行ツアーのガイド嬢との待ち合わせ場所だった。ピアノに似たチェンバロは鍵盤楽器だが、似ているが鍵盤が無く、スティックで弦をたたく脚付きダルシマーといった楽器をメインに、バイオリンとコントラバス、トムトムを持った楽師達が広場に現れ、夕方の演奏が始まった。

ピッティ宮ガーデンから見るフィレンツェ郊外

緑に映える茶色の屋根瓦と白壁は、トスカーナ地方の典型的な景観だ。城壁に連なる塔もいい。メジチ家の住居だったというピッティ宮にはボーボリ庭園という広大な庭園があるが、その一番高い丘の上の花畑からの景色だ。

ポンテ・ヴェッキオ

14世紀半ばに造られた、屋根・住居付きのこの橋は規模も大きく有名だからよく知られている。現在、住居部分は装飾品中心の土産店だが、あまり興味も無いから素通りだった。離れてみると、その特異さも景観に溶け込んでいる。

ローマ

コロッセオ、円形闘技場

ローマ帝国の遺跡といえば、このコロッセオを思い浮かべるほど有名だ。この種の円形闘技場は、ローマ以外にもフランスのアルルのものを見てきたが、アルルの長径180mに対しローマは190mと少し大型だ。

コンスタンティヌス凱旋門

ローマ帝国では戦勝記念に凱旋門がよく造られたようで、方々の遺跡に凱旋門がある。よく見れば、その戦争へ動員された遠征の情景や、勝利者の皇帝が刻まれ、勝利した戦争の物語がある。

トレビの泉

言い伝え通り、後ろ向きにコインを1枚泉に投げ込んできた。再びローマに来ることができるという。古い白黒映画の「ローマの休日」で、オードリー・ヘップバーンとグレゴリー・ペックも同じ願いをかけたのか、今はもう細かいところまでは忘れてしまった。

フォーリ・インペリアーリ通りからコロッセオを見る

独特な形状の松の街路樹は、古代ローマの遺跡とよくマッチしているように思えた。道路の舗装は、表面が10cm四方で高さ20cm位の四角錐状の石を埋めた石畳が多く、車で通るとあまり快適な乗り心地ではないが、これも古代遺跡とのよいマッチングだった。

 
 
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