日米交流
Japan-US Encounters Website
History of Japan-US Relations in the period of late 1700s and 1900s

 

「日本の虐待」に関する、上院議会決議と国務長官報告
(典拠:Journal of the Senate of the United States of America, 1st Session of the 31st Congress, 1849 - 1850, February 21, 1850 & April 25, 1850)

1850年のアメリカの上院議会では、日本に於ける遭難船員への虐待問題が議論され、事実確認と対策遂行のため、国務長官の報告を求める決議がなされた。クレイトン国務長官は、当時のミラード・フィルモア副大統領(約2ヵ月半後に次期大統領に就任)を通じ既知の事実関係を上院宛報告している。以下がこれらに関するアメリカ上院議会の議事録だ。タイ国王も出てくるが、当時の日本問題は、アジア問題の一部として注目されたようだ。この議事録いわく、

議事録、1850年2月21日

上院議会はハムリン(Hamlin)氏提案の日本当局の行状に関する決議案を熟考し、本件は次のごとく修正され合意された:
決議、合法的事業の平和的遂行による、大規模なアメリカ捕鯨船団の活動により今や増加しつつある、日本国やその属領沿岸で不幸にも難船したアメリカ船員へ向けた日本帝国や地方当局による強制収用、投獄、野蛮行為などの情報や事実が国務長官の認識に達した場合、国務長官は上院議会に報告すること。
決議、東洋の独立国やアメリカの通商貿易にとり有利な将来性に関し、国務省が保有する、最新且つ信頼できる情報を国務長官は上院議会に報告すること。
決議、1833年3月20日に合衆国とタイ国王との間に締結された条約に、彼の国の主要産物の取引が国王の占有に帰す等、我が政府の介入を必要とするようなタイ国王の違反がないか、国務長官は上院議会に報告すること(筆者注:この3番目の決議は、日本とは無関係)。

議事録、1850年4月25日

副大統領(筆者注:次期大統領に就任したミラード・フィルモア)は、国務長官提出の次なる報告書を上院議会に提出した:
合衆国上院議会宛、
「合法的事業の平和的遂行による、大規模なアメリカ捕鯨船団の活動により今や増加しつつある、日本国やその属領沿岸で不幸にも難船したアメリカ船員へ向けた日本帝国や地方当局による強制収用、投獄、野蛮行為などの情報や事実」、また「東洋の独立国やアメリカの通商貿易にとり有利な将来性に関し、国務省が保有する、最新且つ信頼できる情報」、更に「1833年3月20日に合衆国とタイ国王との間に締結された条約に、彼の国の主要産物の取引が国王の占有に帰す等、我が政府の介入を必要とするようなタイ国王の違反がないか」国務長官は上院議会に報告すること、という去る2月21日の上院議会決議に従い、国務長官は決議が要求すると思われる全ての情報を包含する添付書類と共に、名誉を持ってこれを送付する。  (以下、内容は略)

この副大統領報告に関し、幕府とペリー提督の間に 「日米和親条約」 が締結された後の1855年1月18日、エアロン・H・パーマーが日米和親条約締結に対する自身の貢献を認めるよう上院議会に提出した請願書(33D Congress, 2d Session. SENATE Mis. Doc. No. 10)によれば、この国務長官提出の報告の作成には、パーマー自身が深く関わったと述べている。

この1850年4月25日の上院での議事内容は、当時ワシントン・DCで発行されていた「The Republic 紙」に1850年4月26日付けで、ニューヨーク市で発行されていた「The New York Herald 紙」には1850年4月29日付けで報道されている。この情報は、さすがに地元のワシントンDCでは翌日に報道されたが、ニューヨークでは数日遅れている。しかし、ニューヨーク・ヘラルド紙の報道は、比較にならないほど多くの人の耳に入ったはずだ。

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10/14/2018, (Original since 02/6/2010)