写真を撮りながら・・・レンズで見る形と色彩

写真を撮りながら   インデックス・ページ
 


百聞は一見にしかず。写真は多くのものを語るが、サイト運営者が印象に残る写真を掲げ簡単な説明を加える。 とりあえずは手軽な観光案内的なものから出発するが、写真撮影の腕が上がることを期待し、歴史的なものも含め、より多くのものを掲載したい。


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♦ 雑記・雑感: 写真を撮りながら考えることども 

          ( New! ) 2008年7月27日、「A3ノビを100枚ほどプリントした印象」 
          2008年3月7日、「時に突然、寒色系のプリントが出る問題−2」 
          2008年2月16日、「時に突然、寒色系のプリントが出る問題−1」 


♦ 「写真を撮りながら」シリーズ: (下の写真をクリック)

( New! )   11月のある晴れた日、崖の上にパラグライダー愛好家が集まっていた。風の強さと気温が最適になったのだろう。次々と崖をジャンプし、空高く舞い上がった。 ( パラグライダー   )

ユタ州のアーチーズ国立公園、ブライス・キャニオン国立公園、ザイオン国立公園、アンテロープ・アイランド州立公園を回った。思いがけず現地の野生動物と共に、各地の奇観の写真を撮ることができたが、地学的な興味は尽きなかった。 ( ザイオン国立公園、他   )

前回は「鳥シリーズ」だったから、今回は裏庭に来た虫たちと花々を紹介する。乾燥して暖かな南カリフォルニアに、こんな虫も居たのかとびっくりしたものもあった。撮影した日時は任意である。 ( サンディエゴの昆虫と花   )

鳥たちの写真は意識して撮らないとなかなか難しい。過去にあったそんなチャンスをまとめて「鳥シリーズ」を構成してみた。季節はいろいろだが、「レーク・タホのカナダ雁」は2月の初めだった。 ( サンディエゴの鳥とカナダ雁   )

10月の日本を旅した。秋は収穫の時、祭りの時、婚姻の時。1年中で一番実り多い季節だし、カラフルな季節の代表だ。 ( 10月の日本の旅   )

フランスとイタリアへ旅行した。南仏・プロバンス地方は初夏の日差しに輝いていたし、ローマ帝国の遺跡の多いことにも驚いた。イタリアのフィレンツェはトスカーナ地方を代表する都市だけに、その独特の雰囲気を楽しんだが、ローマとは異質の裕福さがある。 ( フランス、イタリアの旅   )

今年もまた綺麗な花が咲き始めた。カールスバッドにあるこの花畑はハイウェー5号からも見えるから、昔から名が知れている。海を見下ろす高台に広がるこのあたりは、息を呑むほどのインパクトがある。最近はコンドミニアムが建ったり、オフィス・ビルディングが建ったりとビジネス区域に組み込まれつつあるが、ひところは丘の向こうまで、見渡す限りの花畑だった。観光客も増えシーズン中の週末は駐車場もないほどだから、花畑に入るにも入場料を取るようになった。世の中は世知辛くなる一方だから、これもその範疇の出来事だろう。 ( カールスバッドの花畑   )

2007年10月頃から2008年2月頃にかけて、サンディエゴ地方は比較的降雨量が多かった。東に広がるボレゴ・スプリングと呼ばれる砂漠地帯は3月から5月にかけて、花が咲く野草や潅木、サボテン等が競い咲く時期だ。サボテンの花には少し早いが、野草の花は今が盛りだ。 道もよく付いていない原野を四駆SUVで花を求めて走り回り、可憐な姿を写真に撮った。コヨーテ・キャニオンはその名の通り川の中だから、大雨が降れば川になり、乾季になれば流れはほとんど姿を消す。 ( コヨーテ・キャニオンの野生の花々   )

マカオの夜景は綺麗だ。旧正月の頃行くと「春節」の飾り付けがひときは良い。勿論香港の夜景は規模も大きくよく知られているが、マカオはしっとりと落ち着いた、いかにもポルトガル風といった雰囲気だ。街路にもタイルを敷き詰め、典型的な「ポルトガル風の波模様」が独特の雰囲気をかもし出す。 今回はセナド広場とカジノのネオンを撮ったが、筆者はカジノのけばけばしさは嫌いだから1枚だけにしておく。マカオは世界遺産に登録された街だ。 ( マカオ夜景   )

大きな町に住んでいると、時としてアメリカは農業大国だという事実を忘れてしまう。 それほど全てが便利で、快適な環境で好ましい製品を買い好きな食べ物を食べられるが、その多くがいろいろな国からの輸入品だからだ。 アメリカの農業は、広大な農地で機械力をフルに活用する合理的な方式だから、昔から多く動力つき農業機械が開発されてきた。 サンディエゴのダウンタウンから60マイルほども北に行ったビスタ市に、こんな歴史的な農業機械、特に蒸気やガソリンエンジンを動力に使った農業機械が展示された場所がある。 「Antique Gas & Steam Engine Museum」がそれだ。 55エーカーの土地に、1849年から1949年まで2万点にも上るコレクションがあると説明書に書いてあるが、特に、蒸気トラクターのコレクションは一見の価値がある。 ( ガソリン・蒸気エンジン博物館   )

今回はサンディエゴ伝道所だ。正式には「Mission Basilica San Diego de Alcala」、サンディエゴ・バジリカ風要塞伝道所とでも訳すのだろうか。 この伝道所はカリフォルニアで最初に出来たカトリック伝道所だ。フランシスコ派修道士、フニペロ・セラ神父により1769年、現在のオールドタウンのプレシディオ・ヒル(要塞丘)に造られたものが、水源や畑地を求めて数年後に現在の地に移った。 その後いったん廃墟になったが、1931年に昔の通りに再興され、現在も現役の教会堂だ。 ( サンディエゴ伝道所   )

サンディエゴ・ハーバーには、ダウンタウンのブロードウェー・ピアーから湾を横切ってコロナド・アイランドまで行くフェリーがある。 湾内には周遊船も運航されているが、フェリーでコロナド・アイランドまで行き、コロナドを散策して帰るコースは、行き帰りに水上からダウンタウンの景色を眺めながらの一石二鳥コースだ。 ( フェリーに乗る   )

夏になればどこかに出かけたくなるのは例年のことだ。今年もまた、隣同士ともいえるようにネバダ州境に隣接するヨセミテ国立公園とセコイア国立公園に旅行した。 気が遠くなるほど平坦なサン・オーキン・バレーにコロラド川からの灌漑用水路が建設されてからは、一帯が広大な農業地帯になった。中でも干しぶどうの生産量は世界一である。ここを走り抜けて東のシェラネバダ山脈に分け入ったところに両国立公園がある。 ( ヨセミテ国立公園・セコイヤ国立公園   )

南カリフォルニアの海の町でもあるサンディエゴには、歴史的な船を集めた海事博物館がある。博物館といっても収集物はみな海に浮かんでいるが、 昔からの港町にはふさわしい展示物だ。 ( 海事博物館   )

サンディエゴの公共交通機関はアムトラック、トロリー電車、そしてバスである。アムトラックはロスを経由して全国につながっている。 トロリーはダウンタウンの中のアメリカプラザを中心に、南はメキシコ国境のサン・イシドロまで(ブルー・ライン)、東はレモングルーブを通ってエルカホンまで(オレンジ・ライン)、北から東はオールド・タウンとファッション・バレーを通ってサンティーまで(グリーン・ライン)の3系統がある。 バスはサンディエゴ市街地から、市内の道路や高速道路をつないで各地の市内バスに接続し、郡内の各所に行ける。 ( アムトラック、トロリー、そしてバス   )

サンディエゴのダウンタウンにあるリトル・イタリーは、古くこみいった地域を再開発し、観光の町によみがえらせる再開発プロジェクトで完成した。 サンディエゴの歴史を語る古い建物は保存しつつ近代的な町並みが出来上がり、スペイン風のいろどりとは全く違った、いわゆる「リトル・イタリー」のコーナーである。 ( リトル・イタリー   )

サンディエゴのダウンタウンから23マイルほども北に行くと、ソラナ・ビーチがある。一つ手前のデル・マーやソラナ・ビーチの北に隣接するエンシニータスは、浜辺に開けた古くからのコミュニティーだ。 このソラナ・ビーチでは、毎年6月の始めころ「フィエスタ・デル・ソル」と銘打った小さなフェスティバルが開かれる。ビーチ沿いの広い通りを開放し、露店が並び、ロックバンドが入り、子供向けのゲームやアトラクションがあり、大人の酒飲みは囲いの中でビールも飲める、町を上げてのフェスティバルだ。 ( フィエスタ・デル・ソル   )

サンディエゴは、ずっと昔から観光に力を入れてきた街だ。年間を通して素晴らしい気候があり、スペイン統治時代からの雰囲気を色濃く残す街でもある。 しかし一方で産業の振興にも非常に力を入れてきた。初めて大西洋無着陸横断飛行に成功したチヤールス・リンドバーグは、サンディエゴにあったライアン社でその機体を造ったが、その当時から航空機産業は盛んだった。 更に海軍の太平洋岸主要基地としてのサンディエゴには、大きな造船業があった。今はこんな過去の産業はほとんど姿を消し、バイオテック、通信、半導体などのハイテク産業が盛んである。 すでにその面影はほとんど無いが、かって太平洋のマグロ漁業の一大基地でもあった。 こんな水辺を再開発し、観光ホテル街とショッピングモールができた。これが今のシーポートビレジである。 ( シーポート・ビレジ   )

シンコ・デ・マヨ (Cinco de Mayo、5月5日) は、1862年5月5日、8千人のメキシコ軍がメキシコ・シティーの近くのプエブラで、その倍にものぼるナポレン軍を破った戦勝記念日だ。 かってニュー・スペインと称しスペイン国王の統轄下にあったメキシコは、1810年スペイン国王から独立を勝ち取りメキシコ国となった。しかし政情の安定しない新興国・メキシコは、イギリス、スペイン、フランスなどヨーロッパ列強から多額の借金をし、返済不能に陥った。 これにつけ込んだナポレオン軍は、アメリカが南北戦争でメキシコの国情にかまっていられない状況を利用し、メキシコ国王としてマキシミリアン皇帝を任命しメキシコの属国化を画策した。この過程で起こったプエブラの戦勝を祝った祭りが今も続いている。 カリフォルニア州ではその歴史的背景もあり、シンコ・デ・マヨは盛大に祝われるのが常だ。 ( シンコ・デ・マヨ   )

「La Jolla」と綴って「ラホヤ」と読むが、これはスペイン語だ。これで分かるようにカリフォルニア州はもともとメキシコ領だったところだ。 テキサス州の独立をめぐって勃発した「アメリカ・メキシコ戦争」の結果、アメリカが降伏したメキシコから買い取った地方の一つだ。今もメキシコ統治当時からの地名が各所に残り、いつも歴史上の出来事を思い起こさせる。 ラホヤの素晴らしい自然や景色は訪れる人から好まれ、多くの観光客も来る場所だ。 ( ラホヤ海岸   )

サンディエゴ市にあるバルボア公園は、市内でも規模の大きい歴史ある公園だ。パンダの繁殖に成功し世界的に有名なサンディエゴ動物園も隣接している。 この公園内には、1915年に開催された「サンディエゴ・パナマ・カリフォルニア博覧会」用に建てられたスペイン植民地風の荘重な建物が並び、素晴らしい雰囲気を造り出している。 そんな公園内に博覧会当時からある植物園があり、幾つかのミュージアムや劇場、レストラン、イベント会場などがある。 ( バルボア公園   )

(ページ追加予定)


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